顧問・中川智子の活動

中川智子(なかがわともこ)

  • 株式会社トレテス顧問
  • 元衆議院議員(2期・7年)
  • 元宝塚市長(3期・12年)

元宝塚市長であり、現・株式会社トレテス顧問の中川智子が、自身の人生で培った経験・知識を少しでも社会・後世のために役立てたいと動き出しました。講演から執筆まで、中川智子の言葉を届けてほしい、そう感じていらっしゃるかたは、お気軽にお問合せください。

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顧問・中川智子の活動

プロフィール

1947年9月、和歌山県那智勝浦町生まれ。日本一の名瀑「那智の滝」から“智子”と名付けられる。大阪府貝塚市で中学2年生まで暮らし、横浜へ転居。短大卒業後、海運会社に就職、社内報を担当する。結婚後は、兵庫県に移住。子育てをしながら、3年かけて保育士の国家試験に合格する。兵庫県宝塚市にて、未就学児の保育施設「キンダールーム」の開設、「宝塚学校給食を考える会」の立ち上げを行う。その後、夫の転勤に伴い熊本へ転居。熊本では、義父の介護を行いながら、「熊本市体罰をなくす会」などを立ち上げ、市民活動にも従事する。1994年、父の旧友である石井正治さん(インドネシア元残留日本兵)とのご縁で株式会社トレテスを設立。事業をはじめた矢先に阪神・淡路大震災を経験。災害ボランティア団体「1.17その後の会」を結成し、リサイクル家電を仮設住宅の被災者に届ける。震災ボランティアがきっかけとなり、当時・社民党委員長であった土井たか子さんから声がかかり、1996年に衆議院議員選挙へ出馬し、当選。2003年まで2期7年の間で、被災者生活支援法、ハンセン病問題、薬害ヤコブ病支援、在韓被爆者問題など常に弱者のために奔走。2009年には、2代続けて現職市長が逮捕された宝塚市の再建を目指し、宝塚市長選へ立候補し、当選。3期12年、市民のための市政を実現するために全力を投じ、2021年4月に退任。現在は兵庫県・丹波篠山市の男女共同参画アドバイザーおよび子育てアドバイザーとして活動。
補助犬法(2002年成立)スタート時。介助犬シンシアと木村佳友とともに。
補助犬法(2002年成立)スタート時。
介助犬シンシアと木村佳友とともに。

講演・執筆テーマ

宝塚市長12年の歩み!

2009年から2021年まで、12年の間、任期を全うした宝塚市長としての職。前市長、前々市長が贈賄で逮捕された街・宝塚。「汚職の街」から「クリーンな街」への転生を実現しました。市民に寄り添った施策を実行し、街づくりのアイディアにはできる限り女性の視点を取り入れました。
LGBT(性的マイノリティ)のパートナーシップ宣言を日本で4番目、西日本では初めて導入しました。先駆的な取り組みに大きな反発はありましたが、その後日本中に伝播したことを考えると、宝塚の取り組みは大きな第一歩となりました。
日本ではじめていわゆる就職氷河期世代の採用に踏み切りました。
全世界にニュース配信された土俵横での市長あいさつ。日本相撲協に抗議を続けました。
元サッカー日本代表の岡崎慎司さんと!
元サッカー日本代表の岡崎慎司さんと!

主婦から国会へ!

1995年1月17日、宝塚市で阪神淡路大震災を経験しました。自らも被災しながら、ボランティアに奔走した怒涛の7か月間。
市民だからこそできる、行政にはできない活動を探しました。避難所への炊き出しや物資配布から本格的な支援活動へ展開しました。全国からリサイクル可能な電化製品を集め、仮設住宅へ届けました。その数は、700台超。被災者が被災地でボランティアをすることの大切さを痛切に感じました。
震災の翌年、近畿比例区で国政選挙へ出馬し、まさかの当確。奇跡の当選といわれました。
1年生国会議員として国会で代表質問に立つ。
1年生国会議員として国会で代表質問に立つ。

阪神淡路大震災を経験して

市民派の国会議員として活動した7年間。「政治の光が必要な人のために働く!」をモットーに駆け抜けました。数限りない取り組みを行いましたが、その一片を記します。

  • ハンセン病問題への取り組み。元患者たちとともに戦い、「国の控訴断念」を勝ち取りました。
  • 被災者生活支援法が成立するまで、数々の難関を乗り越えました。
  • 薬害ヤコブ病では、原告、弁護団とともに戦い、和解に至りました。同い年の野党5名が結束し、議員連盟を主導し、ともに奮闘しました。
  • 熱中症対策では、「熱中症というのは、なにかに“熱中”する病気ですか?」という驚愕の大臣答弁から始まりました。国会と市民とのずれを埋めるのがわたしの仕事でした。
  • 宝塚で介助犬シンシアと出会い、身体障がい者補助犬法の成立を目指しました。日本で初めて、国会へ介助犬を招致しました。法案成立に尽力してくれたのは、お父上が障がい者だった橋本龍太郎元総理でした。議員連盟の会長としての活躍はすばらしいものでした。

駆け抜けた7年間。ただ、戦ってばかりいたわけではありません。もちろん楽しい思い出もたくさん。小泉純一郎さんとカラオケにいったこと。政治の師匠と仰いだ野中広務さんとのエピソード。国会への道を切り開いてくれた土井たか子さんの記憶。中川智子だから語れる国会の表話と裏話。

ライフワークは「学校給食」

「食は命をつくる」という思いが活動の原点です。子供たちの給食を守ることは、教育を守ることと同義。1985年に当時の文部省から出された通達「学校給食の合理化」を受けて、おいしくて安全な宝塚市の学校給食を守るため、友人たちと「宝塚学校給食を考える会」というグループを立ち上げ、署名活動や行政への働きを行いました。

子どもを守るためのPTA活動

PTAは仲間づくりの場です。愚痴を言わずに、変革することが大切。仲間されえいれば怖いものなし。それが、長いPTA活動で得た実感です。

子育てを楽しくする秘訣

パートナーとの信頼関係が軸。そして何より子どもを信じること。子育ての悩みや喜びを分かち合い、助け合える仲間づくりの大切さを語ります。

おかしいことをおかしいと言い続けた半世紀の歩み。ここに挙げたのは一例です。わたしの言葉が、必要な人のもとに届くことを願っています。社会は、声をあげることで変えることができます。
「あきらめない」を合言葉に、ともに頑張りましょう。
全国で講演をしていますが、特に人気のテーマタイトルは、
「たった一度の人生だから」「頑張りすぎない人生を」「子どもの人生は子どもが決める」「国会のウラばなし」「楽しく闘う」「災害とボランティア」です。

中川智子

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